庚申さんの由来
「庚申さん」の由来についてご案内
真鍮の由来
庚申山麓に藤左ェ門という貧農が住んでおり、
生計が苦しく郷を離れる決心をしましたが、
本尊を深く信仰していたのでおすがりをする決心をし、
文禄二年(1593年)正月廣徳寺に籠り、
断食し家運の隆盛を祈願したところ、
17日の満願の夜、ひとりの童子が忽然と現れ、
銅に亜鉛を混ぜる合金の法を伝授されました。
慶長四年(1599年)藤左ェ門は京都に上り、
冶工となってその鋳法を試みたところ、
黄金色の光沢をした合金を得ることに成功しました。
これが我が国における真鍮精錬の始まりと言われています。
爾来、その業は大いに繁栄し、財を成した藤左ェ門は、
元和二年(1616年)謝恩のため、堂宇を再建したのが、
庚申山廣徳寺本堂です。
これより本尊を我国真鍮の祖社として崇敬し、
各地からの参拝者が絶えません。
廣徳寺の開基
延暦二年(783年)、伝教大師(僧最澄)が、
比叡山延暦寺の建立の用材を求めて地方巡歴の途中、
当庚申山頂に光明輝き、紫雲のたなびくのをみられ、
不思議の念にかられながら頂上に登られたところ、
丈余の岩の上、稲妻の発する中に霊姿を感得せされ、
妙法の告示を受けられたのであります。
すなわち、「吾は帝釈天の使者 大青面金剛童子なり、
天地和順、生物育成、悪病除災、開運守護の本願によって出現せり、
汝仏心豊なれば、末世衆生救済のため、
わが身相を刻して後世に残すべし」と。
大師は直ちに三礼沐浴して尊姿(法身九寸)を刻して祭られたのが、
庚申山廣徳寺の始まりです。
庚申尊の由来
文武天皇御悩みの時、
勅命に依って豪範といえる名僧に祈念されたところ
庚申の年の申の日、申の刻に尊姿を感得して
天皇の御病平癒するに至った霊験の示現があったので、
その日時の因縁によって、庚申尊と敬称し奉り、
全国に祭られるようになったと伝えられ、
当庚申山もこれが起源とするものです。