由 来
庚申山麓に住んでいた籐左衛門が、黄金色の光沢をした合金を得ることに成功しました。 これが我国における真鍮精練の始まりと言われます。
真鍮の開祖として「庚申さん」と銅業関係者や地元の人々に親しみを持って呼ばれている庚申山廣徳寺です。
庚申山麓に籐左衛門という貧農が住んでおり、生計が苦しく郷を離れる決心をしたが、本尊を深く信仰していたのでおすがりする決心をし、文禄2年(1593)正月廣徳寺にこもり、断食し家運の隆盛を祈願したところ、
17日の満願の夜、銅に亜鉛を混ぜる合金の法を伝授された。慶長4年(1599)籐左衛門は京都に上がり、冶工となってその鋳法を試みた処、黄金色の光沢をした合金を得ることに成功しました。これが我国における真鍮精練の始まりと言われます。
爾来、その業は大いに繁栄し、財を成した籐左衛門は、元和2年(1616)謝恩のため堂宇を再建しました。これより本尊を我国真鍮の祖神として崇敬し、日本各地から参拝者が後を絶えません。
2013年4月22日に漏電による火災で本殿が焼失しました。2年が過ぎた平成27年(2015)に山上区内で本堂再建について話し合いを始めました。
また、伸銅関係団体の皆様方とも話をさせていただきながら、平成28年(2016)に再建に向けて動き出しました。
各方面の大変多くの皆様から多大な篤志、ご賛同、ご結縁をいただき、平成29年(2017)3月末に廣徳寺本堂の再建復興をさせていただくことができました。
恒例の初護摩会式
令和7年の開催日時が決まりましたのでご案内いたします。
詳細は、追ってお知らせさせていただきます。
庚申山麓に住んでいた籐左衛門が、黄金色の光沢をした合金を得ることに成功しました。 これが我国における真鍮精練の始まりと言われます。
年間の行事。
申年の行事。
庚申年の行事。
のご案内
庚申さんの四季の移ろいや、行事、本堂再建復興に向けての活動内容、地元の話題など日々の動きについての記録です。
より多くの方々に庚申さんに親しんでいただきたいとの思いから、甦れ「秋色の庚申」復興プランを策定しました。
東近江市/小林実さんが撮影編集されたものを許可をいただき張らせていただきました。庚申さん展望台からの日の出や空の移り変わりと雲海が広がる様子が年・月・時間と共に映し出されています。(別画面、YouTubeで開きます。)
令和4(2022)年1月16日におこなわれた初護摩会式の様子です。コロナ対応として関係者だけでの開催となりました。(別画面、YouTubeで開きます。)
令和2年10月
JAFのドライブスタンプラリーのポイントとして掲載されました。
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